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めがね店の歴史

望月めがね内灘店

「望月めがね内灘店は、望月眼鏡店本店(石川県金沢市尾張町)が母体となっております。先祖は山梨県の出身で、当初は全国に水晶等を販売する行商をしていましたが、金沢に魅せられて住み着いたと言われています。初代望月秀吉が大正12年、南町(今の北國新聞社の向い)で水晶の印鑑屋を始めたのを創業の年としています(望月商店)。

知り合いの勧めでめがねの技術も身に付け、家業の発展とともに昭和2年には尾張町の現在地に店舗を移し、眼鏡専門店として新たな出発をしました。この頃のめがねは伊達メガネと言って大正時代から丸型楕円形型の金縁めがねを一枚でもウインドウケースに並べておくだけで商売になった時代でありました。当時は洋服を着て、めがねを掛けていればハイカラさんと言われました。使う人も貴重なものだったとみえ、丁寧に扱い、新品販売よりも修理が多かったと、昭和32年に2代目を引き継いだ望月荘太郎氏は言っていました。

「現代では眼鏡は医療用具の一種で、お客様のご要望に答えられる様、目と眼鏡の充分な知識を習得して社会の為に貢献できる様頑張っています」と語る3代目の現店主望月勉氏。尾張町の真ん中で昔より鍛えられた腕をもって一途に眼鏡の販売に創意努力しています。

平成5年(1993年)6月、望月めがね内灘店として内灘町に支店として開店しました。

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